【男5女2・90分】岡田利規 『三月の5日間』

〜90分

ー 戦争と日常の対比を構造的に語る作品

岡田利規 『三月の5日間』の上演時間・人数

上演時間 約90分

人数 男5女2

概要

2003年、アメリカ軍がイラク空爆を開始した3月21日(アメリカでは20日)。この日を間に挟んだ5日間における、数組の若者たちの行動を語る戯曲。語るとは、文字通り「語る」であって、俳優たちが役を「演じる」のではないところにこの作品の最大の特徴と魅力がある。
六本木のライブで知り合い、そのまま渋谷のラブホテルに5日間居続けになり、たまに外へ食事に出ては、不思議と渋谷にいつもとは違う新鮮な感覚を覚えるミノベとユッキー。ミノベの友人で、少しばかり電波系の少女ミッフィーと映画館で出会うアズマ。渋谷の町を行進する反戦デモに「ゆるい」感じで参加するヤスイとイシハラ。
舞台に登場する男優1男優2と名づけられた7人の俳優たちのセリフは、たとえば次のようなものだ。「それじゃ『三月の5日間』ってのをはじめようって思うんですけど、第一日目は、まずこれは去年の三月っていう設定でこれからやってこうって思ってるんですけど、朝起きたら、なんか、ミノベって男の話なんですけど、ホテルだったんですよ朝起きたら、なんでホテルにいるんだ俺とか思って、しかも隣にいる女が誰だよこいつしらねえっていうのがいて、なんか寝てるよとか思って、っていう、」このようにして俳優たちは、行動の当事者となって物語を展開するのではなく、入れ替わり立ち替わりながら、彼らから聞いた話を観客に説明するというスタイルで、代話していく。
事件らしい事件の起こらないこの作品で試みられているのは、「現実的な表現」への真摯な模索である。まず、いかにもそれらしく「役を演じる」ことの演劇的な欺瞞を排除し、次に、いかにもセリフらしいセリフの嘘くささを取り去ってみている。
いま現在における、最も誠実な表現の姿勢を突き詰めたはてに現れたこの作品では、「戦争」という巨大な出来事と、ほとんど些末ともいえるリアルな日常を巧妙に対比させ、日本の若者たちの抱く、とらえどこのない現実感を見事に構造化している。

三月の5日間 – chelfitsch より引用

評価など

竹内銃一郎の選評

 岡田氏の『三月の5日間』には、読む前に、最初の頁を目にした途端になにやら胸騒ぎを覚え、吉岡実の詩を初めて見た時の感触を思い出した。読み進めている間も、終始ザワザワとした胸騒ぎが途切れることはなかった。なかなか先行きが読めず、とにかくサスペンスフルなのだ。アメリカのイラク空爆という世界の〈大事〉をよそに渋谷で〈小事〉にかまける日本の若者、という物語の構図に、さほどの目新しさがあるわけではない。その〈小事〉を当人ではない近しい第三者たちが、伝聞=不確かな情報をもとに語り演じるところに、「演劇」に触れる感じがしたのだ。ト書きはいかにもぞんざいで、しかも、今時の若者口調のしまりのない台詞がダラダラととめどなく続き、それは一見、コースから外れてゴールを見失ったマラソンランナーの迷走を思わせるのだが、そのあてどなさこそ、作者が描きたかったところのモノなのであろう。なにより、物語ではなく言葉でなにごとかを語らんとするこの作者の姿勢が、快い

第49回岸田國士戯曲賞選評(2005年) – 白水社

 

岡田利規『三月の5日間』の台本入手方法

三月の5日間の台本は、単行本として白水社より出版されています。

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