前田司郎『生きてるものはいないのか』

〜110分

前田司郎『生きてるものはいないのか』

ー 死に方を追求した不可解な不条理劇

男10 女8  上演時間110分

第52回 岸田國士戯曲賞受賞

2012年 映画化

あらすじ

作品の舞台は大学周辺で、舞台上でははじめ大学の休憩所や大学近くの喫茶店、研究室や大学病院の一室などが混在し、劇の進行につれて境界が曖昧になる。この舞台上を、都市伝説を研究している学生たちや、友人の結婚披露宴の出し物の相談をしている学生たち、自分の婚約者と元恋人との修羅場に直面している男、アイドルグループに所属する現役学生、といった人物たちの会話ややりとりが交互に展開する。はじめはどれも日常的なやりとりの範囲におさまっているが、やがて登場人物の一人が突然苦しみはじめてまもなく死に、それから次々と登場人物たちが、悲劇的というよりは間の悪いこっけいな死に際を見せながら倒れてゆく。劇中では都市伝説となっている殺人ウイルスの存在がほのめかされるものの、彼らの死の原因は最後までわからないままである。

ストーリー|映画『生きてるものはいないのか』公式サイト|石井岳龍監督約10年ぶりの待望の劇場用長編新作より引用 (あらすじは映画版)

鴻上尚史氏の選評

前田司郎さんの『生きてるものはいないのか』は、「死」ではなく「死に方」に関する見事な不条理演劇になっている。『ゴドーを待ちながら』が「待つ」ことを演劇化したものだとすれば、『生きてるものはいないのか』は「死に方」の見事な演劇化の例である。
いっさいの叙情を排して、突然、まさに不条理に訪れる死に対して、死そのものではなく死に方に悩むのは、まさに我々の人生のバカバカしいまでの真実である。
願わくば、うんと派手な演出でうんと派手なキャストで見てみたいものだ。そうしなければ、このバカバカしさは、人生を笑い飛ばす活力にはなりえない。ひとかけらの湿り気も、この作品の破壊力を弱め、凡庸なコントになってしまう。

第52回岸田國士戯曲賞選評(2008年) – 白水社

生きてるものはいないのか

生きてるものはいないのか

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